やや紹介が遅れてしまったが、こちらのサイトで、T.スタノヴァヤという専門家が、大統領在任中のメドヴェージェフの功績と失政につき論じているので、その骨子を以下のとおり整理しておく。なお、末尾においてスタノヴァヤは、「政治家メドヴェージェフはむしろここから始まる」と主張している。

 実際のところ、メドヴェージェフの功績は意外に多い。それらは揺り戻しの可能性もあり、現在その価値がなきものとされつつあるにしてもである。そうした「危うい」成果の多くは、政治分野に関するものである。メドヴェージェフは政治システムに2つの質的な変化、すなわち法令の自由化と、体制外野党との対話の再開をもたらした。たとえそれが反政府デモの結果であったとしても、重要なのは今や知事が直接選挙で選ばれ、政党制も自由化されたという事実である。

 経済分野の功績は多くないが、閣僚・官僚を大企業の取締役会から追放したのは大きな成果である。無敵のセーチンを、ロスネフチの会長職から外してしまった。また、軍需部門での改革もある。共産党がどう非難しようと、メドヴェージェフは競争力の低い国内産業への資金拠出は望まず、先進的な軍備の購入を始めた。A.セルジュコフ国防相の抵抗で最初は緩慢ではあったが、きわめて非効率的な軍需産業と癒着している軍幹部にしっかりとタガをはめた。徴兵制を段階的に縮小し、契約軍人制度を拡大するという決定もなされた。軍事改革に必要な歳出増を、財政政策の主であるクドリン副首相・蔵相の抵抗にもかかわらず実現したのだから、弱い政治家にとっては大きな成果である。

 対外政策に関しては、新START、グルジア戦争(原文ママ)、WTO加盟、米国とのリセット、リビア問題での国連安保理との協調などがある。プーチンが8年間の在位で再三のガス戦争、西側との新冷戦といった結果しか残せなかったことを考えれば、それなりの成果だ。

 その一方で、大統領メドヴェージェフは失政にも事欠かなかった。その代表格は、「近代化」プロジェクトである。第1に国民に信じられていないし、第2に信じようにもその成果がない。実際に制度的に存在しているのは、「スコルコヴォ」と、財政資金を特別に活用できるわけでもない近代化委員会だけである。最近になってこれにV.スルコフ副首相が加わり、同氏が大統領府から去ったとたんに、誰も同氏に注目しなくなった。メドヴェージェフは近代化のために、経済の構造改革も、ビジネスに対する行政の圧迫の緩和も、イノベーション投資を活性化することも、実現できなかった。この他、大規模民営化、国家コーポレーションの解体にも失敗し、株式会社に改組された国家コーポレーションはロスナノだけだった。税制の抜本的改革にも失敗したが、ただ社会保険料率の引き下げなどは彼の功績である。その一方でメドヴェージェフは、時間帯の変更や飲酒運転の全面禁止(原文ママ)といった風変わりな政策を実現した。内務省改革は、上層部の入れ替えだけで、警察の悪評は改善されなかった。

 対外政策の面で大失敗だったのは、ミサイル防衛システム問題での対西側交渉の切り札と位置付けていた西側パートナーとの欧州安全保障条約案が、先方から完全に無視されてしまったことである。最近、国防相が公言したように、ミサイル防衛問題は出口なしの状況である。このほか、ウクライナとのガス対立は未解決だし、南オセチアではロシアに不利な選挙結果が出た。

 大統領としてのこのような功罪を引っ提げて、メドヴェージェフは首相に就任することになる。メドヴェージェフは大統領在任中にはプーチンの政治的影響力により自らの実権を削がれていたが、首相に就任することで、経済・財政・産業・税制に関する決定を下すテコにアクセスできるようになる。ここに、プーチンとの潜在的な対立の要因がある。メドヴェージェフは自らの政策的目標を取り下げることはなく、実際に閣内での権限を手にすることから、大統領の時よりも自分の望むような決定を下しやすくなる。一方のプーチンは首相を迂回して行動することを迫られ、二重の垂直が生じる。したがって、政治家としてメドヴェージェフは、むしろこの5月から始まるのであろう。2007年にプーチンが憲法を改正して三選出馬しなかったのは、もしかしたら誤りだったかもしれない。このことが、バランスを崩す潜在的なリスクになりかねず、首相としてのメドヴェージェフはそうした最も危険なリスクの一つとなりうる。

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