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 考えてみれば、本日2018年3月25日は、「ベラルーシ人民共和国」の独立が宣言されてから、100年目の記念日だ。

 おさらいしておけば、1914年に第一世界大戦が勃発すると、ロシアはドイツとの戦争で劣勢に立たされ、ロマノフ王朝による帝政は2017年3月の革命により崩壊した。ロシアは臨時政府と「ソビエト」との二重権力状態に陥り、停戦や土地問題の解決が図られないまま、事態は11月のボリシェヴィキ(のちのソ連共産党)による社会主義革命へと至る。この間、ベラルーシ地域においては、ベラルーシ社会主義会議(グロマダ)を中心とする民族派が自決を模索していた。1917年7月にはソビエトに対抗する「中央ベラルーシ会議」が設置され、12月には「全ベラルーシ大会」が開幕した。大会はボリシェヴィキによって解散させられたものの、参加者たちは場所を替えて審議を続け、執行委員会を選出した。ソビエト・ロシア政府が自分たちの頭越しにブレスト条約を結ぼうとしていることに危機感を抱いた執行委は、ドイツ軍の進撃を好機と見て、1918年3月9日に「ベラルーシ人民共和国」の創設をうたった。同25日には人民共和国の独立を宣言するに至る。

 ベラルーシ人民共和国はドイツの支援に賭け、皇帝のヴィルヘルムⅡ世に独立承認を請う電報を送ったが、ドイツ側はこれを黙殺する。人民共和国は国家機構や軍隊を整備できないなど有名無実だったうえ、指導部の分裂も生じた。1918年後半になると大戦の戦局が変わり、ドイツ革命も起きて、ドイツ軍は1919年1月までにベラルーシ全域から撤退、当地の実権は再びボリシェヴィキの手に渡る。その後、人民共和国の残党は1920年11~12月に最後の武力抵抗を試みたものの(スルツク反乱)、赤軍に鎮圧され、国外に逃れて亡命政権化した(ちなみに、現在に至るまで亡命政権は存続しており、HPはこちら)。

 このように、ベラルーシ人民共和国は国としての実態を備えるには至らず、その試みはきわめて短命に終わった。それでも、現代のベラルーシ・ナショナリストたちは、人民共和国は本物の国家だったのであり、我々は1991年にその独立を回復したのだ、という立場をとる。

 今日、言論・結社・集会の自由が抑圧されているルカシェンコ体制にあっても、民族・民主系の野党は3月25日を「自由の日」と定め、毎年この日に反政府デモなどを挙行してきた。他方、かつてはエスノナショナリズムとは無縁だったルカシェンコ体制も、最近はご都合主義的にナショナリズム的要素を取り入れている面もあり、かつてのようなルカシェンコ体制VS民族・民主野党という明確な対立構図は薄らいでいる印象もある。

 100周年の本日は、一体どうなるのだろうか? もしも100周年という大きな節目に何も起こらず、平穏無事に過ぎ去るとしたら、それは一時代の終わりを意味するのかもしれない。


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