ソ連時代から現代ロシアに至るフーリガンの歴史をまとめたこちらの記事を読んでいたら、奇怪な話が出ていたので、メモしておく。
ソ連末期の1980年代になると、フーリガンが台頭し、ソ連では2大勢力が対立することとなった。一方は、モスクワの各クラブと、東ウクライナのシャフタール・ドネツィク、メタリスト・ハルキウの連合軍。もう一方は、ディナモ・キエフ、ドニプロ、カルパティ・リヴィウ、そしてジャリギリス・ヴィルニュスの連合軍。両者による衝突は1980年代初頭には始まっていたが、ペレストロイカ期になるとそれが大規模になり、特に1987年にスパルタク・モスクワがキエフに遠征した際にはスタジアム周辺や駅でモスクワ派とキエフ派による大掛かりな衝突が発生した、という。
現代のロシアに視点を移すと、ディナモ・キーロフというロシアの地方クラブのサポーターははネオナチを信奉しており、ウクライナの急進右派サポーターと以前から交流を深めていた。そして、ドンバス紛争が始まると、ディナモ・キーロフのサポたちはウクライナ現体制を一貫して支持しており、2014年4月にはウクライナにエールを送る場面もあった、ということである。
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