相当マニアックな話題だが、こちらのサイトに、ウクライナのザポリージャ自動車工場(ZAZ)の小史のようなことが出ていて、個人的に興味深かったので、以下要旨を整理しておく。

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 ウクライナが自力でゼロから開発した最後の自動車モデルは、1987年11月に量産が始まったタヴリヤだった。ただ、タヴリヤは発売された時にはもう古びていたモデルだった。それは、ウクライナの開発担当者が悪いのではなく、工場としては1970年代に生産を始めたかったのに、ソ連指導部がなかなかゴーサインを出さなかったのである。タヴリヤの設計に際しては、当時欧州で人気のあったフォード・フィエスタが手本とされ、外見も似ていた(上掲写真の左がタヴリヤ、右がフィエスタ)。むろん、そうは言っても異なるモデルであり、しかもタヴリヤはフィエスタの11年も後に登場した。

 タヴリヤは長らくウクライナで安い乗用車の定番だったが、その後新車の開発は実質的に行われなかった。今日では、ZAZで生産されているのはすべて韓国、米国、中国メーカーの車をベースにしたモデルである。

 ウクライナ独立後、ZAZの経営権は韓国Daewooに移り、同社はタヴリヤをマイナーチェンジしてタヴリヤ・ノヴァ、スラヴタ、そしてあまり知られていないダナといったモデルを生み出した。すべてタヴリヤのシャーシを利用しており、厳密には新車ではなかった。

 ウクライナ独自のモデルを開発する試みは、この時点で潰えていた。Daewooとしては自社のニュビラ、レガンザ、ラノスがあったので、ウクライナ独自モデルの必要はなかったのだ。その後、特にZAZの主力になったのがラノスで、それをもとにした安価モデルのセンスも生産された。

 Daewooが経営破綻しGMに吸収されると、ZAZはラノスとセンスのライセンス生産を続けたが、しばらくしてDaewooのブランドは捨て、韓国のモデルを自らのZAZのブランドを冠して生産するようになった。

 その後、ZAZの経営は地場資本のウクルアフト社が握り、タヴリヤ、スラヴタの生産は停止された。代わってZAZフォルツァの生産が始まったが、ZAZ自身はその開発に最低限しか関与せず、それは実質的に中国モデルのチェリー・ボーナスのコピーだった。また、別のモデルZAZヴィダは、GMのライセンスにもとづき2012年に生産が始まったもので、実質的にシボレー・アヴェオだった。

 2016年5月にZAZはスラヴタ・ノヴァというハッチバックのコンセプトを発表したが、これもウクライナ独自開発モデルとはほど遠く、中国チェリー社が2011年に発表したRiich G2と瓜二つである(後掲画像参照)。ZAZでは、チェリー社とともに同モデルの開発に積極的に取り組んでいる旨表明しているが、今後量産に着手できるかどうか、現時点では明らかになっていない。

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