ロシアの「電力機器研究開発設計研究所(Научно-исследовательский и конструкторский институт энерготехники имени Н. А. Доллежаля)」のYe.アダモフ研究部長が、こちらのサイトで、東京電力原発事故1周年を受けたインタビューに応じている。以下、その発言要旨を整理しておく。

 東電事故の原子力産業への打撃は大きく、ドイツとスイスが原子力発電全廃を決めただけでなく、原発再開を期待されてたイタリアでも、事故後に実施された国民投票の結果、その希望が葬られた。もしもドイツで推進されている再生可能エネルギーの開発が所期の計画どおりの成功を収めたら、このトレンドが他の国にも広がることは不可避である。

 (東電の事故があのような展開を辿った最大の要因は、天災、設計の不備、人為的要因のどれだったのか?)今日使用されているテクノロジーは、こうした事故の危険をはらんでいる。初めて原子炉から電力を得てからの60年間で、6件の過酷事故が発生しており、うち東電では3つの原子炉で同時に起きた。過酷事故が生じる蓋然性は、平均で10年に一度ということになり、あまり勇気付けられるものではない。米国でスリーマイル島事故が起きた際にソ連では国民に対し、こうした事故は利益を優先し住民の安全を軽んじる資本主義国でしか起こりえないと説明された。チェルノブイリが起きた時には、今度は西側が、ソ連の安全文化の欠如を指摘した。東電事故が起きた今となっては、そろそろ原子炉のテクノロジーが問題なのだということを認めるべきではないだろうか。

 私の同業者たちは非常に保守的で、明白なことも認めようとせず、東電事故は古い設計や(あらゆるテクノロジーはいずれ古くなるのだが)、日本人の国民性が原因だと主張しようとしている向きもいる。2010年にドイツのシュプリンガー事典は私と、日本人の専門家であるフジヨ教授に対し(注:この人のこと?)、原子力テクノロジーの将来展望について共同で記事を書いてほしいと依頼してきた。だが、共同の記事は一部しか成立しなかった。私は、根本的に新しい性格の安全性を備えた原子力に移行すべきだということを主張したのだが、フジヨ氏がそれに同意しなかったからである。出版社側は、我々を尊重し、両論併記にした上で、どちらが正しいかは時間が証明することになるだろうと序文に記した。その事典が出版されたのは、東電事故の1ヵ月前だった。

 (今日とられている安全性向上のための措置は、充分なのか?)それはこれまでも充分だった。事故による死亡率という観点から言えば、原発は電話機の次くらいに低い。尊敬に値する専門家のA.グシコフによれば、チェルノブイリ事故で放射線の直接的な影響により実際に死亡した数は、150人以下だったという。しかし、被爆以外の原因、すなわちストレス、低い民度、社会情勢、誤った政府の決定、移住、マスコミによって煽られた放射能恐怖症などが引き起こした心血管、消化器、または神経疾患の病気で死んだ人々は、数えきれなかった。安全措置は充分だと自分に言い聞かせることはできるが、いかなる電力事業者も、いったんこのような過酷事故が起きれば、稼働しているすべての原発からの利益を合計しても、損害を賄うことはできない。東電はその端的な例で、旧ソ連は広大な国だったのでチェルノブイリの30km圏を放棄できたのに対し、日本は汚染地域の汚染地域からの汚染物質の除去が不可避であり、今度はそれを持っていく先で住民の反対に直面する。事故は不可避であり、いかなる国もそれから自由ではない。

 日本は独自の炭化水素資源がなく、水力発電のコストも高いので、原子力を放棄することは難しいだろう。だが、東電事故のショックと、広島・長崎の心の傷が相まって、日本の世論は原子力の積極的な推進に対して長らく抵抗を示すだろう。ただし、住民の避難や電力会社にとって壊滅的な物質的損害を与えるような大事故の可能性を排除するテクノロジーは知られている。日本は、技術的なアプローチを立て直し、原子力の利用に回帰していくだろう。

 世界の原子力の安定的な発展のためには、「自然安全」が鍵となる。