20121222votkinsky

 以前のエントリーで、『世界地名事典』のプロジェクトで、ロシアの地名の記事を書く仕事を引き受けてしまったということを述べた。その一環として、このほど、ウドムルト共和国のヴォトキンスクという街について調べた。その過程で、ちょっと面白いことを知ったので、ここに書き留めておきたい。

 ヴォトキンスクはウドムルト共和国の東の外れに位置する市で、現在の人口は約10万人。街はヴォトカVotka川に面しており、街の名前もこの川から来ている。今思ったのだが、この川、綴りこそ違うが、発音は「ウォッカ」と同じ。ウォッカが川になって流れてくるなんて、ロシア人にとってはまさに理想郷である。以下、地名事典に書いた原稿の一節を引用する。

 ヴォトキンスク Votkinsk

 帝政ロシア時代に、女帝エリザヴェータの許可により当地にヴォトキンスク製鉄所が開設され、1758年に稼働したことが、街の始まりとされる。サンクトペテルブルグ市のペトロパヴロフスク要塞にあるペテロ・パウロ聖堂の鐘は、同工場が鋳造した。また、19世紀の前半には、大作曲家ピョートル・チャイコフスキーの父であるイリヤ氏が、この製鉄所の工場長を務めていたことがある。工場は碇、鉄道機器、橋梁、船舶などを生産し、ロシアの近代化を支えた。

 ピョートル・チャイコフスキーは、1840年に当地に生まれ、8歳までを過ごした。この街の北西部には1,880haに及ぶ「ヴォトキンスク池」があるが、一説にはその情景が名作「白鳥の湖」にも反映されるなど、この地で過ごした幼年期はチャイコフスキーの作品に少なからぬ影響を及ぼしたと言われている。1938年、そのヴォトキンスク池のほとりに、チャイコフスキーの生家を中心とした記念公園が設立され、作曲家の生きた時代の様子を今に伝えている。1958年以降、「チャイコフスキー記念音楽祭」が毎年開催されている。

 とまあ、こんな具合で、ヴォトキンスクと言えば製鉄所、そしてその製鉄所の幹部一家に生まれたチャイコフスキーということになるわけだ。で、上述の、ヴォトキンスク池が「白鳥の湖」のモデルとなったという話は、日本語の情報では確認できなかったけれど、ロシア語ではここをはじめとする様々なところで語られているので、信憑性の高い説のはずである。

 それにしても、「白鳥の湖」って、鬱蒼とした森の中にある霧深い神秘の湖っていうイメージを持ってたけど、こんな都市に隣接した「池」がモデルだとは思わなかったなあ。感覚的に言うと「不忍池」に近いものか。しかも、ヴォトキンスク池は人工池らしい。ヴォトキンスクの街の始まりが、製鉄所の建設に伴うものだったわけだから、まずヴォトカ川を堰き止めて池を造り、工場用水を確保したのだろう。これって、エカテリンブルグの街の誕生と、同じパターンだ。



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