ロシアの「エクスペルト」のこちらのサイトで、ロシア新政権の地域政策の体制につき、とりわけ北カフカスと極東のそれを中心に、分析・論評がなされている。5月22日付とやや古い記事だが、以下抄訳しておく。

 ロシア新政権の地域政策にかかわる部分は、矛盾しているように思われる。政府内に、地域政策に関与すると思われる省庁が、いくつも存在する。

 まず、地域発展省がそのまま残った。しかも、O.ゴヴォルン大臣は、8つの連邦管区ごとに、8人の次官を配下に置くことになった(大統領令には、そのポストを現在の連邦管区大統領全権代表が兼務できるか否かについて明記されていない)。次に、北カフカスと極東という2つの連邦管区においては、きわめて影響力の大きいボスがいる。北カフカスでは、A.フロポニンが引き続き副首相と同管区の大統領全権代表を兼務することになった。ほぼ同様の地位を得たのがV.イシャエフで、同氏は極東の全権代表に加え、新設された極東開発省という省を丸ごと与えられた。ロシア政府は地域政策においてこの両管区を重視しているということである。この両者が、当該管区担当の地域発展次官とどのように協力し合うのか、まだ明らかでない。

 フロポニンは政府内のポジションを保持した。4月末にマスコミで、南連邦管区関係者の話として、近く同管区の再編が行われるとの情報が流れた。南連邦管区に属している地域のうち、ヴォルゴグラード州とアストラハン州が沿ヴォルガ管区に、ロストフ州、クラスノダル地方、アディゲ共和国、カルムィク共和国が北カフカス連邦管区に移管され、北カフカスの全権代表にはR.ヌルガリエフ内相(当時)が就くとされていた。もしそうなれば、過去2年間フロポニンが取り仕切ってきた連邦の北カフカス政策が大幅に転換することを意味する。北カフカス連邦管区はフロポニンのために設けられたようなものであり、彼の起用は、北カフカスで山積している問題の解決に強硬的ではなく経済的なメカニズムに訴えることを意味した。そのフロポニンが留任したことは、経済的なメカニズムが踏襲されることを意味する。

 フロポニンが北カフカス連邦管区全権代表として2年間に挙げた最大の功績は、優先的な投資プロジェクトに対する制度的な国家支援のメカニズムを構築したことである。2011年、ロシア政府は北カフカスの20プロジェクト(大部分は鉱工業部門)に向けた融資に対し、425億ルーブルの国家保証を提供した。不況地域を振興する諸外国の方式にならって、対外経済銀行が株式の100%を保有する「北カフカス開発公社」が創設された。対外経済銀行自体が、チェチェンを含め、北カフカスの大規模プロジェクトのパートナーの役割を担った。また、北カフカス観光クラスターの大プロジェクトの実施が始まり、2011年にはその外国パートナーも誘致した。具体的には、プロジェクトと建設のコンセプト作りの調整役を果たすフランスのCaisse des Depots et Consignationsと、シンガポールのSuprema Associate、韓国のKorea Western Power and CHT Koreaである。

 しかし、北カフカスの政治情勢は相変わらずである。ダゲスタンの内戦の脅威が高まっているし、カバルダ・バルカルの犯罪グループも掃討できていない。フロポニンと地元エリートとの関係も芳しくない。フロポニン在任中の2年間に、2011年2月にB.エブゼエフ・カラチャイ・チェルケス共和国大統領、2012年5月にV.ガエフスキー・スタヴロポリ地方知事と、2人の首長が退任した。クレムリンは最初は両者とも地元の既存エリートからは遠く、地域外でも支持される素地があると見なしていた。エブゼエフは前職は憲法裁判事、ガエフスキーは地域発展省次官であった。しかし、両者ともフロポニンとの関係は上手く行かず、前者の場合には地元クランが、後者の場合では統一ロシアの地方名簿のトップとなったI.セーチン副首相(当時)の存在がそれに少なからず拍車をかけていた。

 昨年末、下院選と同時並行的に、フロポニンはカフカスのミネラルウォーター地帯の保養施設の稼働率をクラスノダル地方のそれのレベルまで引き上げ、同ミネラルウォーター地帯で統一的な自治体を創設する必要性につき、大々的に主張した。統一的な自治体の案に関しては、レールモントフ市で住民が即座に反対デモを組織し、本件はピャチゴルスク市に吸収されることを意味するとして反発した。スタヴロポリ地方行政府が何ら対応をとらなかったため、フロポニンは本件の解決に直々に乗り出し、大統領全権代表部に交渉の能力があることを示した。と同時にこの事件は、フロポニンのイニシアティブに北カフカスで強い反発があることを裏付けた。したがって、地元の影響力グループとの関係を構築することが、引き続きフロポニンにとっての重要な課題となっている。この困難な課題につき、フロポニンは新政府でも白紙委任状を与えられたわけだ。

 極東開発省の創設は、意味深長な措置であるが、かなり物議を醸すものでもある。一方では、連邦中央はこれにより、北カフカス連邦管区の創設後、シベリアや極東の地域エリートたちが同様の特権を求めてきたことに、応えた形となった。しかし、南連邦管区を二分して北カフカス連邦管区を創設したのとは異なり、今回は線引きのやり直しはなく、極東開発省が既存の極東連邦管区大統領全権代表部にぶら下がる形となった。シベリアでは、シベリア開発が新政府の優先事項となると期待していたので、失望感が広がっている。

 他方、新内閣で極東のテーマを明確に打ち出したことは、経済政策におけるアジア・ベクトルが、最重要とは言わないまでも、優先的な路線の一つになったことを物語っている。プーチン大統領が6月に早速中国を訪れるのも、その表れだ。

 大統領令により、極東開発省に委ねられる権限を、V.イシャエフ大臣が統括していくことになる。同氏が選ばれたということは、モスクワがイシャエフに全幅の信頼を寄せているか、あるいは極東には他に適切な人物がいないかのどちらかであろう。イシャエフ氏は根っからの極東の人間であり(生誕地はケメロヴォ州だが)、沿海地方の知事に就任したV.ミクルシェフスキーのようなよそ者ではない。2009年に、第一副知事だったV.シポルトにハバロフスク地方知事の座を譲り、極東連邦管区大統領全権代表に就任した。

 イシャエフを全権代表に留任させつつ、新たに大臣のポストも与えたことに関し、これは彼の功績を認め、モスクワにとって彼が極東における牽引役であると見なしているがゆえの処遇であるとする見方もある。実際、イシャエフが全権代表として活発に動いていたことは事実である。管区内を盛んに行脚したり、様々な提案をしたり、建設現場を訪問したりした。別の見方によれば、イシャエフの昇進は、中央が地元の人間に依拠しようとしていることの表れとされる。つまり、極東はよそ者の手には負えず、現地の状況を知悉している人物を必要とした、という解釈である。しかも、ロシアとAPEC諸国の協力関係に関する戦略の最終案が9月のウラジオAPECで提案されることになっているが、その策定に責任を負っているのもイシャエフである。

 他方、極東・シベリア開発公社創設の構想は、最初から専門家によって批判されていたが、極東開発省が創設されたことで、立ち消えになる公算が大きい。前内閣で極東・東シベリア国家委員会(Государственная комиссия по вопросам социально-экономического развития Дальнего Востока, Республики Бурятии, Забайкальского края и Иркутской области)の委員長を務めていたI.シュヴァロフ第一副首相は、公社といった組織の必要性はないと発言している。その機能の一部は、対外経済銀行の下に設けられたシベリア・極東開発基金が担いうる。問題は極東開発省がどこに置かれるかだが、論理的にはハバロフスクということになり、もしそうなれば、近代のロシアで初めてモスクワ以外に居を構える省となる。

 今回決まったような政府の地域政策関連の体制は、評価が分かれる。一方では、ロシアは巨大な国であり、地域は、とりわけモスクワから遠いそれは特殊性を抱えているので、その開発体制を画一的にすることはできない。省、国家コーポレーション、基金等々が必要である。他方では、特殊性に従って省庁を増やしていくと、極北省、ヴォルガ川デルタ省等々と、キリがなくなる。省庁を増やしても、税金の配分から資産の管理に至るまでの財政連邦主義の本質が変わらなければ、効果は期待できない。ただ、現在の連邦制の中では、他の方法が思い付かないということなのだろう。それに、カフカスにしても、極東にしても、過去数十年間放置されていたことは事実であり、それゆえに連邦政府としてはそれらを政府の体系に反映させて、象徴的なジェスチャーを示したのだろう。

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