ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

image

 そんなわけで、研究会での発表のために、福岡にやってきた。3年前に観光旅行で福岡に来た時には、もつ鍋を食べる機会がなかったので、今回はあらかじめ下調べをして、ピンポイントで来店した。一人でもカジュアルにもつ鍋ランチを楽しめる「おおやま」というお店。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

svg

 ドイツ・ベルリンの郊外に位置するポツダム。今年は1945年のポツダム宣言から70周年なので、記念日に当たる7月26日に、この日めくり紋章のコーナーでもポツダムを取り上げようと思っていた。しかし、首相がそのテキストを読んだことがないとかで物議を醸しており、フライング的にポツダム宣言が話題になっているので、もう出してしまうことにした。ポツダムって、ミンスクの姉妹都市なのか、知らなかった。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

seinan

 明日は福岡にお邪魔して、ウクライナについて報告させていただくことになっています。九州の「ソ連東欧史研究会」の5月例会で、「ウクライナ危機の背景と深層」という報告を行うものです。5月23日(土)15時~17時30分、場所は西南学院大学学術研究所第1会議室の由。主催者に確認したところ、この研究会はクローズドではないので、一般に告知してもらって構わないものの、場所が狭いのであまり多くの人は入れない由。それでも、地方でお話させていただく貴重な機会なので、一応告知まで。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

7c3305cf02106075cc340e3c37debe55

 ちょっと後追いのフォローで恐縮。こちらのニュースなどに見るように、EU・ウクライナの連合協定にともなう自由貿易圏(FTA)創設に関し、そのロシアへの影響に関し討議するEU・ウクライナ・ロシア3者間の閣僚協議が、5月18日ブリュッセルで開催された。注目すべきことに、協議を終えたウクライナのP.クリムキン外相は記者団に対し、ロシアはもはやEU・ウクライナ連合協定の条文修正は主張せず、また2016年初めからのFTAの履行についても反対していない、これは私にとって今回の協議の主たる成果だ、と発言した。今後3者の専門家レベルで、税関業務、貿易における技術障壁、衛生・動植物検疫という3つの側面で、詰めの協議を行っていくことで合意したという。そして、まだ時期は不明だが、専門家レベルの実務協議を受けて、再び3者の閣僚レベルの会合を開催する予定。本件に関しては、ロシアを代表して会合に臨んだA.ウリュカエフ経済発展相も、ロシアはEU・ウクライナ連合協定の実施の延期を主張しているわけではない、我々に与えられた時間を有効に活用すべきで、引き伸ばすことは誰にとっても不利益である、専門家レベルの協議は7月には作業を終えるはずであり、その後に閣僚会合が開かれる、などとコメントした。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

Coat_of_Arms_of_Shlisselburg_(Leningrad_oblast)

 ロシア連邦レニングラード州シリッセリブルグ市(Шлиссельбург)。ちょっと野暮用があり、「ロシアで、なんとかブルクという名前の街は、どのくらいあるだろうか?」と、調べてみた。そしたら、実はごく少なかった。サンクトペテルブルグ、エカテリンブルグ、オレンブルグがメジャーなので、他にももっとあるのかと思ったが、実はそのメジャー3都市の他には、今日取り上げるこのシリッセリブルグくらいしかないことが判明した。少々、意外である。

 このシリッセリブルグ、私はまったく馴染みがないが、歴史上は重要なところらしい。ウィキちゃんの丸写しだが、1702年、大北方戦争の際、ピョートル1世(ピョートル大帝)は上陸戦によりノーテボリ要塞を占領した。要塞を守備する250人のスウェーデン兵は10日間に渡り抵抗し、スウェーデン軍が降伏した際、スウェーデン兵の犠牲110人に対してロシア軍の犠牲は6,000人に達した。この地を「イングリアへの鍵」とみなしたピョートル1世の考えから、要塞はドイツ語で「鍵の城」を意味するシリッセリブルグと改名された、ということである。紋章のデザインは、そうした成り立ちを表しているのだろう。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

deutsche

 こちらのサイトに、拙稿「輸入代替はロシア経済を救うか?」が掲載されていますので、よかったらご利用ください。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

20150521gdp

 昨日は、所属先の団体が、月報創刊1000号記念講演会「ロシア・NIS諸国の現在地と将来展望」と題するイベントを開催した。私自身は、「ウクライナ危機は克服できるか」という講演を披露した。お越しくださった皆様に感謝申し上げます。

 それで、この報告に向け、色々データを整理したり図表を作成したりしたのだけれど、結局使わなかったものもあったので、ここにリサイクルさせていただく。上に掲げたとおり、「ウクライナのGDPの生産部門別構成」という図が、ボツになった。ウクライナの経済が構造的な変貌を遂げており、特に重化学工業から農林水産業にシフトしつつあるということを表現したかったものの、イマイチ明確なトレンドは描けなかったので、使わなかった。「鉱業」「製造業」「電力・ガス・水」という3つを合計すると、いわゆる鉱工業生産になり、それがGDPに占める比率が趨勢的に減っていることは事実である。しかし、その主因は「商業」や「その他」の拡大であり、このスパンで見ると農林水産業が一貫して拡大しているわけではないという結論になった。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

Gerb_lukhovitsy

 ロシア連邦モスクワ州ルホヴィツィ市(Луховицы)。先日、ある人のフェイスブックの書き込みで、「ロシアのキュウリの首都」と言われている街があるのを、初めて知った。何でも、品質の高いキュウリを産することで知られ、キュウリの銅像も設置されているのだとか(それが下の写真)。早速、紋章をチェックしてみたが、残念、紋章はどう見てもキュウリとは関係なかった。期待させやがって。

0_3eccc_b8f09246_XL

ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

3107_155655

 こちらのニュースなどが伝えるところによると、ウクライナ政府はこのほど最高会議に対し、対外債務の支払を猶予する権利を政府に与える法案を提案した。これに関連して、ヤツェニューク首相は概要以下のように発言している。いわく。ウクライナは今後4年間にわたって、対外債務利払・償還において、150億ドルの金融ギャップを抱えている。戦争、ロシアの侵略、経済危機という条件下で、国民にその支払を転嫁することは不可能である。それに鑑みて、民間債権者とのリスケを達成したい意向である。ウクライナ政府が求めているのはあくまでも権利であり、実際にモラトリアムを行使するかどうかは別問題である。我々は支払を行いたいが、それはウクライナ政府・国家が望む条件においてである。ウクライナはクリミア、領土の20%を失ったのであり(注:クリミアと全ドンバスを合計しても13.3%にしかならないが…)、我が国を言葉ではなく、数十億ドルの資金で助けてほしい。それこそがウクライナを、ひいては欧州全体を助けることであり、ウクライナ国民はそれを評価するだろう。議会の課題は、未来の世代からV.ヤヌコーヴィチの債務支払義務を除去することだ。ヤヌコーヴィチ時代に債務は400億ドル増え、今日700億ドルとなっている。現在のように、「旧債務を償還するために新たな借入が必要」という生き方には終止符を打たなければならない。政府としては債権者との合意に期待するが、首尾良く行かなければ、今回の法案によりモラトリアムの可能性が生じる。2014年にウクライナはIMF等から90億ドルの融資を受けたが、同時に140億ドルの支払を行っており、これは戦渦にある国にとっては酷である。IMFは今後4年間で250億ドルの支援プログラムを組んでおり(注:175億ドルではないのか?)、うち150億ドルが対外債務の支払いに、100億ドルが外貨準備の積み増しにあてられるが、その期間の対外債務支払義務だけで300億ドルにも上り、対内債務も170億ドルあるのである。首相は以上のように述べた。

 ただし、こちらの記事によれば、今回の法案はどちらかと言えば外国の債権者にリスケの同意を取り付けるための圧力の手段の一つであり、したがってこれが外為市場に影響したりといったこともないだろうと、専門家筋は見ているようである。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

20150520hijun

 こちらのサイトに、EU・ウクライナ連合協定のEU諸国による批准状況が出ているので、チェックしておく。2015年5月半ば現在の最新の状況で、EU諸国のうち20ヵ国が批准を完了、4ヵ国がその作業中であり、残り4ヵ国がまだその作業にも入っていない。具体的には、イタリア、ギリシャ、キプロス、オーストリアの4ヵ国がまだ作業に入っていないということである。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

smolensk_coa_n641

 旧ソ連の英雄都市シリーズの、第13回にして最終回は、ロシア連邦スモレンスク州の州都、スモレンスク市(Смоленск)。スモレンスクの紋章も、以前一度、「ベラルーシが失った都市シリーズ」で取り上げたことがあるが、今回紹介するのはあえてソ連時代に使用されていた市章である(モチーフは同じだけど)。

 戦後40年の1985年5月6日にムルマンスクとスモレンスクが英雄都市に列せられたのが、最後となった。ソ連邦なき今、英雄都市の栄誉がさらに拡大することは、もうないだろう。いや、それとも、プーチン政権のロシアが、ウクライナやベラルーシの意向を無視して、勝手にロシアの都市を追加認定したりといったことも、今後あるのだろうか?


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

20150518uajob

 こちらのサイトに見るように、ウクライナの公式統計によれば、2014年平均のウクライナにおけるILO方式の失業率は、9.3%ということになっている。ヨーロッパでも南欧あたりはこれよりもはるかに高い失業率のところがあり、ウクライナの状況はそれに比べればずっと良好のようにも思える。

 しかし、ロシアも同様だが、ウクライナの公式的な雇用統計には、あまり意味がない。まあ、公式失業率が5%から10%に高まったら、それだけ趨勢的に雇用状況が悪化しているのだろうなということは推察できるけれど、いずれにしても10%という数字を鵜呑みにはできない。

 そのあたりの実情につき、こちらの記事がとても参考になったので(エコノミストのO.オフリメンコ執筆)、記事の中味を上図のようにグラフにしてみた。記事によれば、ウクライナの総人口4,290万人のうち、生産年齢人口は1,900万人である。そもそも、年金生活者が多すぎて、生産年齢人口の割合が小さいことが大問題であり、これによって社会保障負担も増すわけである。それで、生産年齢人口のうち、雇用者(公務員・軍人・警官も含む)が780万人、個人事業主(その従業員も含む)が200万人、学生が180万人であり、残りの国内での定職に就いていない者を算出すると、740万人ということになる。2014年にウクライナ統計局の専門家が試算した際も、760万人というほぼ同様の数字が出ており、この740万人ないしは760万人といったところが、ウクライナの失業予備軍ということになる。740万人だとすると、生産年齢人口に占めるその割合は、実に39%に上る。

 ただ、ウクライナでは740万人の約半分ほど、すなわち300万~400万人が、国外での出稼ぎに従事しており、ウクライナ国内で指をくわえているというわけではない。また、数は不明なるも、闇経済に従事している向きもいる。他方、オフリメンコ氏は言及していないが、おそらく専業主婦も740万人の中に含まれるのではないか(ウクライナの社会通念からして、積極的に専業主婦を選択するケースは稀と思われ、家庭にいる女性は実質失業者という捉え方になるのではないかと思う)。

 以上をベースに考えると、生産年齢人口のうち、国内での定職に就いていない者が40%前後、その約半分が国外出稼ぎに従事、闇経済従事者等が数%いるとしても、おそらく実態としてはウクライナの失業率は10%台の後半くらいと言えるのではないだろうか。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

150px-Coat_of_Arms_of_Murmansk_(1968-2004)_svg

 英雄都市シリーズの続きで、ロシア連邦ムルマンスク州の州都、ムルマンスク市(Мурманск)。この街は、対独戦の戦闘での功績もさることながら、いわゆる「レンドリース」、すなわち連合国からの支援物資の主要な受入窓口になったから、その功績が英雄都市認定の決め手だったかもしれないな。ムルマンスクの紋章は、以前一度取り上げたことがあるが、今回はバージョン違い。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

4009155

 こちらのニュースによると、ロシア政府はこのほど、小麦に対する輸出関税を撤廃した。この輸出関税は、ルーブル下落に伴い小麦の輸出が急増し、国内市場でのパン・小麦粉の価格が高騰したのを、安定化させるための措置だった。2015年2月1日から、6月30日までの期間で導入され、税率は輸出価格の15%+7.5ユーロだった(ただし1t当たり35ユーロを下回らないこととする)。今回の輸出関税撤廃決定は、輸出を容易にし、農民が農作業用に運転資金を確保できるようにするための措置だという。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

ru_gov

 こちらのニュースによると、ロシア統計局は5月15日に2015年第1四半期(1~3月期)のGDP速報値を発表した。それによると、第1四半期のGDPは、前年同期比実質1.9%減だった。これに先立ち、A.ウリュカエフ経済相は、第1四半期の成長率に関し2.2%程度のマイナスという予測を述べていたが、それを上回ったことになる。なお、ロシア政府は2015年通年の成長率に関し、マイナス2.8%という見通しを公式に掲げている。

 こちらの記事によると、こうした指標の好転を受け、5月15日にI.シュヴァロフ第一副首相は、「常に危機のことを引き合いに出すのは、もはや適切でない。発展へと重点を移すべきだ」と述べ、危機終息宣言とも受け取れる発言を示した。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

Coat_of_Arms_of_Tula

 そんなわけで、この「日めくり紋章」のシリーズ、本日から2年目に突入した。手抜きではあっても、とりあえず、もうしばらく続けてみることにするので、お付き合いを。

 さて、ロシア連邦トゥーラ州の州都、トゥーラ市(Тула)である。地味な地方都市だけれど、この街が英雄都市に選ばれたのは、1941年10~12月にナチス・ドイツのモスクワへの侵攻を食い止める上で重要な役割を果たしたからなのかな、たぶん。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

20150517dnipro

 過去1年くらいで、ウクライナに起きた出来事の中で、最も喜ばしいことだったのではないか。FCドニプロ・ドニプロペトロウシクが、UEFAヨーロッパリーグ(EL)の準決勝でイタリアのナポリを破り、決勝進出を決めた。5月7日にアウェーで開催された1レグは、1:1引き分け。そして、5月14日ホームで開催された2レグを1:0で勝利し、トータルスコア2:1で決勝への切符を掴んだものである。ただ、「ホーム」と言っても、ドニプロペトロウシクは紛争地から近いということでUEFAは当地での国際試合開催を禁止しており、会場はキエフのNSKオリンピスキーだった。

 個人的に、これまでドニプロの試合をほぼ観たことがなかったが、準々決勝・準決勝と4試合観た感想は、まあとにかく90分タイトな守備を継続でき(その分、ファウルも多いようだが)、試合を通してミスや隙をほとんど見せない、ということである。M.マルケヴィチ監督の完成させたプレスの質は、ヨーロッパでも最高レベルだろう。攻撃の推進力は、コノプリャンカ、ロタンという2人のテクニシャンに頼るところが大きく、この2人だけはワールドクラスに近そうだ。ただ、アタッキングサードに持ち込んでも、そこからの崩しのアイディアや閃きのようなものは、チーム全体にあまり感じられなかった。しかし、その割には、不思議と1試合に1点くらいはとれてしまうと、そんな印象である。

 ナポリとの準決勝に関して言えば、何と言っても、ナポリの地で土壇場に挙げたアウェーゴールとなる同点弾が、大きかった。はっきり言って、あれは明らかなオフサイドであろう。終盤の「ここぞ」という場面で、ドニプロの選手2人が前線に飛び出して、結局ファーにいたセレズニョウが決めたのだが、ニアの選手は明明白白なオフサイドであり、しかも足を出してプレーに関与している。しかし、ニアの選手の方が目立ち過ぎたためか、ゴールを決めたファーのセレズニョウのオフサイドも見逃されるという(やつのオフサイドもかなり分かりやすいものだったのだが)、変な場面だった。

 ナポリの側には、世界的なストライカーのイグアインがいた。レアルやアルゼンチン代表の時は、周りがすごすぎて、普通のFWのような印象も受けてしまったが、ELのレベルでは「こんなに上手かったのか!」と驚かされた。しかし、準決勝では、ドニプロのGKボイコが、4度までもイグアインの決定的なシュートを止めている。普通であれば「決定力不足」とFWが批判されそうなところだが、イグアインはいずれも枠内に良い感じのシュートを打っており、今回ばかりはボイコを褒めるしかないだろう。

 地域研究者として言わせてもらえば、5月14日のキエフでの試合では、ドニプロペトロウシクという1地方都市だけでなく、全ウクライナがドニプロを応援している雰囲気が強かった。ジトーミル、チェルニヒウといった地名が書かれたバナーやフラッグが掲げられていたりした。ディナモ・キエフが準々決勝で敗退してしまい、その分、キエフ市民がドニプロの応援に駆け付けたといったこともあったのだろう。ちなみに、会場でのチャントは、ウクライナ語の「ドニプロ」ではなく、ロシア語の「ドニェプル」と言っているように、私には聞こえた(バナーもロシア語のものが目に付いたし)。

 UEFAのこちらのページに、マルケヴィチ監督の手腕に関する論評が出ているので、引用させていただく。

 このドニエプルの指揮官は、負ければ終わりのトーナメントでその本領を発揮する。ホームでカラバフFKに0-1と敗れたグループF第3節を終え、ドニエプルはわずか勝ち点1の最下位に沈んでいた。しかしここから盛り返し、残り3試合で2勝を収めてグループを突破。その先の決勝トーナメントでは、2試合制下での強さを見せつける。
 ラウンド32以降で対戦したオリンピアコスFC、AFCアヤックス(どちらもUEFAチャンピオンズリーグからELに回ったチーム)、さらにはクラブ・ブリュージュKVやナポリと、全チームがウクライナでの試合では無得点に抑えられた。さらにマルケヴィチ監督率いるチームは、決勝トーナメントのアウェーゲーム4試合のうち3試合で、少なくとも1点のアウェーゴールを確保している。かつてFCメタリスト・ハリコフを率いた指揮官は、ELにおける2試合制の対戦では無類の強さを発揮し、その戦略は欧州カップ戦のベテラン、ベニテス監督をしのぐほどだった。マルケヴィチ監督は一発勝負の決勝にも合わせて戦術を調整し、ウナイ・エメリ監督を出し抜くことができるだろうか?

 決勝は5月27日、ポーランド・ワルシャワのスタディオン・ノロドウイーにて。対戦相手はスペインのセビージャ。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

Minsk

 ベラルーシの首都ミンスク(ロシア語ではМинск、ベラルーシ語ではМінск)。旧ソ連の英雄都市のシリーズを順番に紹介していたら、日めくり紋章の365回目、つまり今回で連載開始1年ということになるわけだが、その記念の回が、私の第3の故郷と言うべきミンスクに回ってきた。なので、手抜きシリーズなのだが、ミンスクだけはちょっと真面目に書く。なお、この日めくり紋章、2014年5月18日に旅行先のウクライナで気まぐれに始めたものであり、第1回はチェルノブイリだった。

 ミンスクの語源については、交易を意味する「メナmena」から来たという説、近郊にあった「メンカMenka」という川の名に由来するとの説、人名(「ミンチMinch」なる人物、または古代の勇者「メネスクMenesk」)が元であるという説などがあり、定かでない。

 当地には、9世紀頃までに東スラヴ系のクリヴィチ族、ドレゴヴィチ族が定住した。980年頃にポロツク公国の版図に加わり、スヴィスロチ川(ドニエプル川の支流)右岸の小高い丘に要塞が築かれ、それが街として発展していった。ミンスクは、「ネミガの戦い」のくだりで1067年に初めて年代記に登場し、これがミンスクの正式な誕生年とされている。ポロツク公国の分裂に伴い、1101年にこの地を中心とするミンスク公国が成立する。

 ミンスク公国は、モンゴル・タタールの脅威に直面したことからリトアニア大公国に接近し、結局14世紀前半にその版図に組み込まれた。1569年のルブリン合同でポーランド王国とリトアニア大公国が連邦国家を形成して以降は、実質的にポーランドの支配下に入った。1591年には、赤とすみれ色の衣をまとい銀の雲に乗った至聖生神女が、天使たちにいざなわれ昇天するという図柄のミンスクの紋章が制定された(現在もこの紋章が使われている)。

 ポーランド時代、ミンスクは経済・文化・宗教の拠点として発展を遂げた。他方、貴族はポーランド化・カトリック化し、またユダヤ人が流入するなど、他民族・多宗教化が進むことになる。17世紀半ばのロシア・ポーランド戦争でミンスクは灰燼に帰し、18世紀初頭の北方戦争でも大々的な破壊を被った。これ以降、経済的にも沈滞が続くことになる。

 1793年の第2次ポーランド分割の結果、ミンスクを含む現ベラルーシ中部は帝政ロシアに編入、これに伴いミンスクを中心とするミンスク県が創設された。街は順調に発展するかに思われたが、1812年のナポレオン戦争でまたも甚大な被害を受けた。19世紀の半ばにかけ図書館、劇場などができ、新聞も創刊された。1870年代にモスクワ~ブレスト間の鉄道が開通し、ミンスクの交通路としての重要性が高まる。ベラルーシの他の都市と同様に、帝政末期にはミンスクの人口の半分近くがユダヤ人であり、ベラルーシ人はごくわずかだった。

 ミンスク県を含む帝政ロシア西部では、ヨーロッパからロシアに社会民主主義思想が流入する経路に当たるということもあり、ユダヤ人を中心に労働・革命運動が盛んだった。ロシア社会民主労働党、のちのソ連共産党の創立大会がミンスクで開かれたのは、そうした事情による。1898年3月、帝政ロシア各地から9名の活動家が当地に参集し、秘密裏に大会を開催したのだった。なお、開催場所となった一軒家は1948年に再建され、現在も記念館として一般に公開されている。

 ベラルーシ人による民族運動は19世紀末から20世紀初頭にかけてようやく台頭するが、実はミンスクがその中心であったわけではなく、むしろ運動の拠点は現リトアニアのヴィルニュスであった。それでも、第一次大戦時のドイツ占領下、1918年3月に一部のナショナリストが「ベラルーシ人民共和国」の樹立を宣言した際には、ミンスクが首都とされた。しかし、人民共和国はボリシェヴィキに敗れ亡命政権下する。1919年1月にボリシェヴィキにより傀儡の「白ロシア(ベラルーシ)ソビエト社会主義共和国(BSSR)」が創設された時には、現ロシアのスモレンスクが首都とされた。その後すぐにミンスクに首都が移ったものの、両大戦間期には西ベラルーシがポーランドに編入されていたので、ミンスクが対ポーランド国境に近すぎることを安全保障上の脅威と見たソ連当局は、BSSRの首都を東のモギリョフに移す準備を進めていた。1939年にソ連が西ベラルーシをポーランドから奪還したことにより、ミンスクは地理的にもBSSRのほぼ中心になり、これにより首都としてのミンスクの地位が固まったと言える。

 1941年6月22日に「大祖国戦争」(独ソ戦)が始まると、早くも同28日にミンスクはナチス・ドイツにより占領され、1944年7月3日に赤軍により解放されるまで苛烈な支配を受けた。この戦争でミンスクが受けた人的・物的被害は凄まじく、破壊されずに残った建物はわずか70棟程度であったと言われている。戦後、1974年にミンスクは「英雄都市」の称号を授かった。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

20150516belband

 こちらのサイトに、ベラルーシの国民ブランド100の2015年最新版が制定されたという、実にマニア心をくすぐる情報が出ている。どこかにその原典はないかと思って検索してみたら、なぜかウクライナのコンサル会社のこちらのページがヒットした。これでランキングの全貌を閲覧できる。要するにキエフにあるMPPコンサルティングという会社が、ベラルーシのブランド・ランキングを制定しているということのようだ。上位だけ箇条書きしておくと(数字はブランド価値、100万ドル)、

1.ミラヴィツァ(女性用下着):73.2
2.バーブシキナ・クルィンカ(乳製品):71.4
3.サンタ・ブレモール(魚製品):70.5
4.アリヴァルィヤ(ビール):53.8
5.サヴーシキン・プロドゥクト(乳製品):48.1

 などと続く。ミラヴィツァ、サンタあたりは、ロシアやウクライナの街角・商店でも頻繁に目にするので、ご存知ない方は、もぐりですぞ!


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

novorossiysk2006_city_coa_n10864

 黒海に面したロシアの港湾都市、ノヴォロシースク(Новороссийск)、ここも英雄都市なのか。デザインは帝政ロシアっぽい。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

minsk

 私はドンバス紛争とその和平プロセスについてほぼフォローしていないのだが、A.イヴァフニク氏の執筆したこちらの文章が、最近の動きについてまとめており、助かる。

 これによれば、2月12日のミンスク2協定成立後も、ウクライナ、ドネツィクおよびルハンシクの両人民共和国とも火器撤去の義務を履行せず、最近になって散発的な戦闘が激化して、お互いを非難する状態が続いていた。2月に合意された「複合的な措置」の中で、和平の具体的な問題を話し合うための作業サブグループ(複数)を設置することになっていたが、ウクライナ側は、ウクライナの法律に沿った形で人民共和国の領域で選挙が行われない限り、そもそも話し合う相手がいないとして、サブグループ設置に応じようとしなかった。3月17日にウクライナ最高会議がドンバス自治法に修正を加えたが、その中で、不法な軍事勢力が領域から撤退しない限り、当地での地方選挙実施は不可能だとの立場をとっており、こうしたことから事態は完全に袋小路に陥った。この状況を打破できるのは、外部からの介入だけであり、実際ウクライナの頑なな姿勢にEU首脳が不満を抱いていると伝えられたことなどもあって、4月30日に独・仏・露・ウの電話会談が実施され、近いうちにサブグループの会合を行うことで合意した。そして、5月6日にミンスクにおいてコンタクトグループの会合が実施され、4つのサブグループを設置することが決まり、OSCEがそのコーディネーターを務めることになった。具体的には、安全保障問題(停戦と武器撤去)、人道問題(難民、捕虜交換、人質解放、人道物資)、経済・復興問題、政治問題、という4つのサブグループである。ただし、サブグループにおける交渉は難航が予想されるし、ウクライナ国内にも人民共和国内部にも和平交渉そのものやその中身に不満を持つ勢力があるので、今後の成り行きは予断を許さない。以上のようにイヴァフニクはまとめている。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

g777_kerchsmall_city

 クリミア半島の東端にある港町、ケルチ(Керчь)。ここも英雄都市だ。個人的なことだが、一連の英雄都市の中で、私はこのケルチにだけ行ったことがない。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

1396010275-4025

 これは一昨日のことになるが、こちらのニュースなどが伝えるように、5月12日にウクライナ鉄道がテクニカルデフォルトを宣言した。M.ブランク社長代行が記者会見で述べたところによると、現在の国難、ドネツィク鉄道が実質的に中央の管理下にないこと、貨物量の激減、長年続いてきた鉄道の経済性に反する慣行や腐敗が、主な原因だという。ウクライナ鉄道では、今後2ヵ月ほどで、320億グリブナの内外債務のリスケを実現したい考え。なお、1年ほど前の数字になるが2014年6月30日現在の債務の内訳は、ロシア資本112億グリブナ、ユーロ債・社債89億グリブナ、ウクライナの民間資本45億グリブナ、ロシア以外の国際資本37億グリブナ、ウクライナの国家資本7億グリブナだった。63%がドル建て、2%がユーロ建て、35%がグリブナ建てだった。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

genyuyasu

 みずほ総合研究所編著『激震 原油安経済』(日本経済新聞出版社)が出版されました。研究者仲間の金野雄五さんが執筆に参加しておられます。その中身は、

 2014年半ばには110ドル近かった原油相場が、翌15 年3月には40ドル台前半までに暴落。この価格下落を招いた経済環境の変化とは何か、世界各地にどのような影響を及ぼしているのか、来たるべき原油安経済をいかに受け止めればよいのか――。原油安によって、日本はトリプルメリット(原油安、金融緩和、財政拡大)で底上げされ、産油国には増税に等しい富の流出をもたらし、新興国経済は明暗を分けることになる。その一方で、原油安にともなう物価の下落に対処すべく各国中央銀行は異例な金融緩和に踏み切って、異常なマイナス金利(金利水没)をもたらしているが、原油価格下落からの道筋も、世界の「金利水没」からの出口もまだ見つかってはいない。 本書は、原油安経済の構造と衝撃を解明するとともに、世界経済全体の病巣が予想以上に根深いことも明らかにするタイムリーな経済分析である。



ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

olygarhy

 こちらの記事で、ユーロマイダン革命後のウクライナのオリガルヒ地図がまとめられているので、政治とのかかわりを中心に、気になった点だけ整理しておく。

 R.アフメトフ傘下の企業の経営幹部たちは、最高会議の「野党ブロック」会派に属している。アフメトフの盟友のV.ノヴィンシキーも、同党の名簿で最高会議に籍を置いている。

 I.コロモイシキーに近い最高会議の議員たちは、ポロシェンコ・ブロックに属す小選挙区選出議員たちだったが、コロモイシキー知事が政権側と対立した後、すでに会派を離脱している。他にも、ドニプロペトロウシク州選出の小選挙区議員のB.フィラトフや、右派セクターのD.ヤロシが、コロモイシキーに近いと見られている。また、22名から成る議員グループ「ヴォズラジジェーニエ」のリーダーであるV.ホムティンニクが、ウクルトランスナフタをめぐる紛争の際に、コロモイシキーに加担したという。

 V.ピンチュークには、自らの息のかかった議会会派は存在しない。ただ、ピンチューク傘下の企業の何人かの幹部が、様々な会派に所属している。特に、ドニプロペトロウシク州の小選挙区選出のYa.ベズバフが挙げられる。

 ミロニウカ社のYu.コシューク氏は、その食品のかなりの部分をEUに輸出しているが、同氏はポロシェンコ大統領と友好関係にあり、ポロシェンコは大統領就任直後、コシュークを大統領府第一副長官に任命した。ただ、その職にあったのは2014年12月までで、その後は大統領顧問になった。別の農業系オリガルヒであるヴァダトゥルシキー家も、ポロシェンコと親しい。ウクライナ最大の農業グループは、O.ヴァダトゥルシキーのニブロン社であり、その息子のA.ヴァダトゥルシキーが最高会議のポロシェンコ・ブロックに所属している。

 鉄鉱石で有名なK.ジェヴァホは、かつてはティモシェンコ・ブロックに所属していたが、2012年、2014年の選挙ではポルタヴァの小選挙区で無所属で当選し、会派には一切所属していない。ただ、ジェヴァホは議会において、ポロシェンコ大統領を支持する立場をとっている。

 D.フィルタシは、もう1年間もオーストリアに留め置かれており、米国への移送が予想される。最高会議の「野党ブロック」では、フィルタシ系のYu.ボイコがリーダーを務めているほか、元々フィルタシに近かった人物が何人かいる。

 ウクルナフタおよびウクルトランスナフタをめぐる係争の際に、前出のコロモイシキーは、これらの会社を簒奪しようとしているとして、I.エレメエフを非難した。そのエレメエフは、ガソリンスタンド業のコンチニウム社を抱え、近年同社は、国家機関に石油製品を納入する入札で、頻繁に落札に成功している。以前からV.リトヴィンと関係が深く、2000年代にはリトヴィンの人民党に所属していた。過去2回の選挙では、ヴォルィニの小選挙区で当選。現在の最高会議では、19名から成る議員グループ「人民の意志」のリーダーとなっている。A.ヤツェニューク首相の現内閣では、元コンチニウム幹部のA.ピヴォヴァルシキーにインフラ相のポストが与えられているが、それはポロシェンコ・ブロックへの割当によるものである。

 ヤヌコーヴィチ政権崩壊後、地域党で最も将来性があると思われたのが、S.チヒプコだった。チヒプコは政治家であると同時に、機械、保険、医薬品販売などのビジネスを抱える。2014年の最高会議選挙では、チヒプコは自前の党の「強力なウクライナ」で戦いに挑み、そこにはフィルタシ系企業の幹部や、V.ホロシコウシキーなどが名簿に名を連ねていた。しかし、同党は議席を獲得できず、それ以来、チヒプコやホロシコウシキーは鳴りを潜めている。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

pr1505_2

 5月10日放送のNHK-BSドキュメンタリーWAVE「追いつめられるピレウス港の労働者たち ~中国企業進出は何をもたらすのか~」の備忘録。内容は、

 世界第5位の規模をもつギリシャ最大の港・ピレウス。“ギリシャ人の宝”と言われるこの港が今、中国マネーに買われようとしている。この動きに、港で働く労働者たちは激しい反対の声をあげている。財政破綻寸前のギリシャでは、道路・港湾・鉄道・空港など、国有のインフラ事業の売却計画が進んでいる。中国最大手の海運会社・コスコは43億ユーロを出資し、3つのうち2つの埠頭のリース契約を結んだ。更に今、ギリシャ政府が持つ港湾局の株式獲得に乗り出し、3つの埠頭全てを完全に手中に入れようとしているのだ。この動きに対してギリシャ国内では激しい議論が起きている。当初、民営化に反対していた左派政権も、EUが財政支援の条件としてインフラの民営化を求めた為、受け入れざるを得ない情勢だ。ピレウス港の民営化をめぐる港湾当局と労組の対立を追い、財政悪化の後遺症に揺れるギリシャの今を見つめる。

 というものだった。番組によれば、中国はこのギリシャの港を、ヨーロッパ、北アフリカ、そしてアジアを結ぶハブと位置付けているらしい。実際、数年前に中国が進出して大型機器が導入され、現在では中国とEUの海上貿易の約半分がこの埠頭を経由しているということだった。ピレウス港は今や、中国の新シルクロード構想の一環として、その国家戦略に位置付けられている。中国にとってのヨーロッパの海の玄関というわけである。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

g1068_moscow1924_city

 英雄都市シリーズで、今回はロシアの首都モスクワ。初回で紹介したレニングラードから、今回のモスクワまでの7つが、1965年5月8日に承認された第一弾の英雄都市であり、それだけ格が高いと言えそうである。モスクワ市の紋章は、今年の元日だったかな、すでに紹介済みなので、今回は趣旨に合わせて、ソ連時代の紋章を掲載する。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

 あくまでも公式統計によるものだけれど、CIS統計委員会の資料によれば、2013年現在のCIS各国の平均月額賃金をドル換算すると、多い順に、以下のようになる。なお、厳密に言えば、アゼルバイジャン、キルギス、モルドバのみ、数字が通年ではなく、1~11月である。

ロシア:941ドル
カザフスタン:714ドル
ベラルーシ:573ドル
アゼルバイジャン:534ドル
ウクライナ:409ドル
アルメニア:369ドル
モルドバ:296ドル
キルギス:229ドル
タジキスタン:148ドル

 2013年までは、ウクライナの位置付けは、産油国には及ばないが、モルドバや中央アジアの貧困国よりは高いという、中間的なものだった。ところが、2014年から2015年にかけて、ウクライナの通貨グリブナが激しく下落したため、私の試算によると、ウクライナのドル換算平均月額賃金は、2014年:300ドル、2015年1~3月:178ドルと、大幅に落ち込んでいる。月ごとの、グリブナ表示とドル表示の賃金の動きをまとめたのが、下図である。ちなみに、直近の2015年3月現在では、ウクライナの平均月額賃金は167ドルである。

20150513uawage

 むろん、他のCIS諸国にしても多かれ少なかれ通貨安に伴うドル賃金の目減りは生じているが、ウクライナの落ち込みはひときわ大きい。やはり、この平均賃金の指標をとっても、ウクライナはモルドバや一部中央アジアと同列の貧困国の仲間入りをしつつあると、言わざるをえないだろう。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

m201506cover

 編集作業が終わったばかりの『ロシアNIS調査月報』2015年6月号を、例によって編集長特権で、どこよりも早くご紹介。6月号は毎年恒例のNIS(ロシア以外の旧ソ連の新興独立諸国)の総論特集ですが、本年は周知のようなご時世ゆえに、「ウクライナ危機後のNIS経済」と題してお届けしています。今回は私自身はレポートは書いていないけれど、「逆境下だからこそウクライナに商機あり」、「急成長するベラルーシのITアウトソーシング」と、2本のインタビュー記事を担当しています。5月20日発行予定。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

Coat_of_Arms_of_Brest,_Belarus

 ベラルーシの西端にあるブレスト要塞(ロシア語ではБрестская крепость、ベラルーシ語ではБрэсцкая крэпасць)。国境の要塞なので、ナチス・ドイツが真っ先に攻めてきたけれども、しばらく頑強な抵抗を続けたということで、英雄都市に選ばれている。街ではなく、要塞が英雄都市ということらしいが、さすがに要塞の紋章はないので、ブレスト市の紋章を上に掲げた。そういえば先日、ブレスト要塞の映画をこのブログでも紹介したところだった。


ブログランキングに参加しています
1日1回クリックをお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

↑このページのトップヘ