ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

ロシア・ウクライナ・ベラルーシを中心とした旧ソ連諸国の経済・政治情報をお届け

20150805sakana

 夏季休暇から華麗に帰還したでござる。

 ロシアは1年前から欧米(米国、EU、カナダ、オーストラリア、ノルウェー)からの食料品輸入の一部を禁止しているが、最近になってそれを拡大する動きを見せており、そこに日本も含まれそうだという情報を、先日のエントリーでお伝えした。しかし、こちらのサイトこちらのニュースなどが報じているように、結局日本は今回もロシアによる報復制裁の対象にならなかった。今回、2015年8月13日付ロシア連邦政府決定第842号により対象国に加えられたのは、アルバニア、モンテネグロ、アイスランド、リヒテンシュタインであり、EU周辺の小国ばかりとなった。ただ、アイスランドは2015年1~5月のロシア向けの魚輸出国として15%のシェアがあったということであり、一定の影響が生じるかもしれない。

 なお、ウクライナに関しては、同政府決定により、「ある特定の条件の下で」、制裁対象国に加えられることになった。具体的には、ロシア政府は2014年9月19日付の政府決定第959号で、EU・ウクライナ連合協定の自由貿易(FTA)条項が発効しロシア経済に悪影響を及ぼした場合には即座に一部ウクライナ産品に対し関税率を導入することを決定済みであり、今回新たに、2014年9月19日付政府決定が発効したあかつきには食品禁輸も同時に適用されることが決まったわけである。メドヴェージェフ首相の口振りからすると、ロシアとしては本年中にウクライナと本件妥協に達することは不可能であると考えており、2016年1月1日のEU・ウクライナのFTA移行を受け即座にウクライナの一部品目に対する関税導入と食品禁輸に踏み切る構えのようである。


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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州レフチンスキー市(Рефтинский)。人口1.6万。誕生したのはソ連時代のことであり、当地に火力発電所を建設するために1963年に労働者の集落が築かれたのがその始まりだった。「レフチンスキー国営地区発電所」は1970年に竣工したが、今日でもロシア最大級の火力発電所であり、現在では「エネル第5卸売発電会社」の傘下に入っている。もう一つの主要産業が、養鶏業。2002年に制定された市の紋章も、発電所を象徴する輪・電光の中に、鶏の姿を描いたものであり、町の産業をそのまま表現している。


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kolo

 ウクライナ・オリガルヒの近況と題し、7月に作った資料のリサイクルをしているところ。最終回の今回は、I.コロモイシキーを取り上げる。

  • プリヴァト財閥総帥。地域党政権では傍流だった。暫定政権により2014年3月に地元のドニプロペトロウシク州知事に任命され、私費を投じてドンバスの分離主義運動平定に尽力。他方で、アフメトフの凋落を尻目に、新たにウクライナ南東部の覇者に名乗りを上げた。
  • 石油会社「ウクルナフタ」をめぐる騒動。これまで、国営の「ナフトガス」が50%+1株を、プリヴァト財閥が42%を保有していたが、実質的にコロモイシキーが支配していた。しかし、株式会社法の改正で、定足数が従来の60%から50%+1株に引き下げられ、国がウクルナフタの支配権を回復することが可能になった。それを阻むためにコロモイシキーが手勢を率いて会社を封鎖する騒ぎ。
  • 上記事件を受け、2015年3月にドニプロペトロウシク州知事から解任。当初は余裕を見せていたが、自らの事業基盤のあるオデッサ州の知事にサアカシヴィリ元ジョージア大統領が任命されると、敵意をむき出しにする。

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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州イヴデリ市(Ивдель)。人口1.6万で、人口の多い順に取り上げているスヴェルドロフスク州都市のシリーズも、だいぶマイナーなところまで来た。イヴデリは、州の一番北寄りにあり、金採掘で発展してきたところで、紋章もそれを象徴したデザインになっている。


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 清水銀行掛川支店。これまで自分が見た中で、最も趣のある銀行店舗。


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firtash

 昨日に続き、ウクライナ・オリガルヒの近況と称し、ネタのリサイクル。本日は、D.フィルタシの近況を整理する。フィルタシュ、フィルターシュなどと読まれる場合もある。

  • ロスウクルエネルゴ社による悪名高い仲介ビジネスをはじめ、ロシア・ウクライナ間の不明朗な天然ガス取引で巨万の富を築いてきたフィルタシは、2014年3月にFBIの要請にもとづきオーストリアで逮捕(3月21日に巨額の保釈金を積んで保釈)。近年では、財閥「DFグループ」傘下のOstchem社を通じた化学肥料産業に注力していたフィルタシだったが、その事業環境は一気に悪化した。
  • フィルタシは、ロシアのガスプロムバンクの資金的な援助(A.ロテンベルグが介在の模様)でウクライナの化学工場の多くを買収した。フィルタシはウクライナのオリガルヒの中では最もクレムリン寄りの存在であったと位置付けられるが、ロシアの一部勢力にはフィルタシを利用して窒素肥料の世界市場でのプレゼンスを強化する狙いがあったとも指摘されている。ガスプロムはOstchem向けにガス料金を値下げする優遇。
  • Ostchem傘下の4工場のうち、ドンバス地方の2工場は、2014年に操業を停止した。その後、ロシアから安価にガスを調達できなくなったOstchemは、ナフトガスに対する60億グリブナ(約3億ドル)のガス代金未払いを累積させる。これを受け、A.ヤツェニューク首相は、60億グリブナの未払いが解消されなければ、工場を国有化すると警告。当局はDFグループの一連の資産を差し押さえ。これに対抗して、Ostchemは2015年5月に、残っていた工場の操業を止め、国内市場に肥料不足を生じさせて政府を揺さぶろうとした。

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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州トゥリンスク市(Туринск)。人口1.7万。この地域の中では最も古い街の一つで、イェルマークが破壊したかつてのエパンチンという集落の跡地に、1600年に城砦を築いたのが始まり。ソリカムスクからトゥラ川上流域への最短の道を確保し、ヴェルホトゥリエ~チュメニ間にシベリアの河川交通路防衛の拠点を築くことが目的だった。シベリア街道の開通に伴い、18世紀後半からトゥリンスクの商業および国防上の役割は低下し、1750年に火災で焼失した要塞も再建されることはなかった。18世紀以降、トゥリンスクは流刑地となり、デカブリストたちの多くが晩年を過ごしたのもトゥリンスクの地で、街にはその博物館や記念館がある。2002年に制定された市の紋章は、トウヒ、白樺の森の中を歩くクマの姿を描いた図柄となっている。


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 7月にあるところでウクライナ経済についての報告を行った時に、主要オリガルヒの近況というのを箇条書きにまとめたのだけれど、時間がなくなって、当日のプレゼンでは省略してしまった。せっかくなんで、それをここでリサイクルする(すでに申し上げたとおり、現在当方、夏季休暇中であり、ブログの手抜き更新です)。まず最初は、R.アフメトフ氏の近況は、以下のとおり。続きは明日。

  • アフメトフ氏の財閥SCM(その鉱山・冶金部門はメトインヴェスト)は、生産基盤がドンバス地方に集中しており、ドンバス紛争の大打撃を受けている。2015年4月にメトインヴェストはデフォルト状態を宣言。(ただし、その後も「デフォルト回避のために金策に走り回っている」とする報道もあり、完全につんでしまったわけではない模様。)
  • SCM傘下のエネルギー事業会社「DTEK」は、ウクライナの火力発電の80%を支配していたが、ポロシェンコ大統領は独禁行政を強化しようとしており、アフメトフとしては電力利権も失う危機。DTEKも債務問題に直面。
  • アフメトフは政治面では、旧地域党の流れを汲む「野党ブロック」を支援、議会で43議席を保有し、第三党。依然として法曹界、官界に強力なコネを有しているが、ポロシェンコ大統領の厳しい姿勢もあり、アフメトフの神通力は弱まる方向であり、訴追されたりするケースが増えそう。

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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州ニジニャヤサルダ市(Нижняя Салда)。人口は1.7万と小さいが、意外と重要なところだ。街は、ニキータ・デミドフがサルダ川沿いに製鉄所を建てたことに伴い発生した。工場が完成を見た1760年が、街の誕生年とされている。1858年に工場には鉄道用レールの生産設備が設置され、初期のロシアの鉄道敷設には、まさにこの工場で生産されたレールが使われた。今日でも、街を代表する企業は、かつてのデミドフ工場の流れを汲む「ニジニャヤサルダ冶金工場」で、同社は「ニジニタギル冶金コンビナート」(大手企業グループ「エヴラズ」傘下)の支社。ただ、1970年代に高炉・平炉が閉鎖され、すでに高炉メーカーではなくなり、現在では鋼材の生産に特化、主な生産品目は鋼管用の鋼材、鉄道レール、形鋼、棒鋼などである。また、意外なところでは、ロケットエンジンの研究開発・設計と関連業務を手掛ける国営の「機械製作研究所」が当地に所在している。1971年に打ち上げられた人類初の国際宇宙ステーション「サリュート」のエンジンは、この研究所によって生み出された。2003年に制定された市の紋章は、線路を思わせる金色の帯の上を、前足で「探鉱者の枝」を持った白馬の馬が進み、上空に金の彗星を描いたデザインである。金の帯と馬は、この地が鉄道レールの生産で繁栄してきたことを象徴しており、探鉱者の枝は街の生みの親であるデミドフ家を想起させる。また、上空の彗星は宇宙産業のシンボルである。


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 川内原発の再稼働で、日本国中が大きな悲しみに包まれる中(少なくともオレはそうだぜ)、今日私は、静岡県の浜岡原発に併設されたPR施設「浜岡原子力館」を見学してきた。旅先につきiPadで長文が辛いので、詳しい話は後日改めて。広報施設としては、実に良く出来ていると感じた。写真は、原寸大の原子炉の模型で、何やらパイプオルガンのようにも見える。


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 カザフスタンはWTO加盟目前まで来ている。こちらのニュースによると、それに伴って自動車の輸入関税率を引き下げることになる。カザフスタン国民経済省の対外通商活動発展局のZh.クシュコヴァ局長(写真)によれば、ロシアなどとの関税同盟結成に伴い、カザフの乗用車輸入関税率は30%以上となった。同時に、中古車の輸入がほぼ完全にストップした。そして、まさにその時期に、外国自動車メーカーのカザフ現地生産が立ち上がった。ただ、すでにその時点でWTO加盟に伴う自動車の関税率交渉は完了しており、同関税率を15~20%とすることで決着していて、新たにやり直すわけには行かなかった。今となっては、当時合意した15~20%という関税率は、現地生産にとっては不充分なものである。ただし、この間に我々は技術規制、標準などを改革してきた。ユーラシア関税同盟の枠組みでは、中古車は基準に合致せず、したがってカザフに輸入できない。このことが、現地生産にとって一種の保護となる。とはいえ、我が国としては税制優遇、中古車規制などの新たな現地生産保護措置の体系を適用していかなければならない。クシュコヴァ局長は以上のように述べた。


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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州キロヴグラード市(Кировград)。人口2.0万。1661年にカラタイという集落が築かれたのが始まり。18世紀初頭に黄銅鉱が発見され、その採掘が始まった。なお、1890年に、この集落からほど近い場所での発掘作業で、のちに「シギルの偶像」と名付けられる中石器時代の彫像が発見されており、これは世界最古の木造彫刻とされている(現在はエカテリンブルグのスヴェルドロフスク州立地誌博物館に展示)。1910年、カラタイ銅溶解工場が建設され、そこで働く人々の本格的な集落が形成された。工場は、1917年のロシア革命後の内戦で被害を受け、操業が止まったが、1922年に再建され、当時ロシア最大の精銅企業となった。1932年にカラタイと周辺の集落が合併し、カラタ市が創設された。それも束の間、1935年には革命家セルゲイ・キーロフの名にちなんで、キロヴグラードと改名された。今日では、ウラル鉱山冶金会社の子会社である「ウラルエレクトロメジ」社の支社が当地で多金属の生産に従事している。また、郊外には国立自然公園「ヴィシムスキー」が広がり、2001年にユネスコの生物圏保護区に登録された。2004年制定の市の紋章は、緑の山と、金のつるはしを携えたオオカミを描いたものであり、自然の美しさ、鉱物資源の豊かさ、住民の気高さなどを表している。


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 当方、昨日から夏休みで、完全オフなので、当面ブログは旅行記と、手抜き記事だけになります。静岡県の浜岡というところに来ていて、ここでしばらく静養します。色々仕事が立て込んで、疲れとストレスが溜まってたみたいで。個人的に、疲れてくると、足がつる体質なんだけど、昨日なんか身体中がつってしまい、このまま死ぬんじゃないかと思ったくらいで。というわけで、数日間、仕事のことは完全に忘れて、観光、散歩、読書、音楽鑑賞だけして、ノンビリさせていただきます。


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 先週は、幕張の国際学会などがあってバタバタしていたので、本件の報告がすっかり遅くなった。こちらの記事こちらのサイトなどが伝えるように、先日ロシア代表監督から解任されたカペッロ氏に代わって、8月7日、L.スルツキー氏が新たな代表監督に就任した。スルツキー氏は2009年以来CSKAモスクワの監督を務めており、当面は代表監督とクラブの監督を兼任することになる。CSKA側はプレスリリースの中で、「ロシア代表チームの窮状を考慮して、ロシア・サッカー協会首脳に譲歩し、スルツキー監督がユーロ2016の予選終了までクラブと代表の監督を兼任することに同意した。CSKAは我々の監督がクラブでも、代表でも成功を収めることを期待している」と表明した。一方、V.ムトコ・スポーツ相は、ロシア代表監督にはロシア人指導者が就くべきである、スルツキー氏のCSKAでの成功を考えると、ユーロ2016の予選突破という目標をまさに彼に託すのがふさわしい、これは各方面のコンセンサスにもとづく現在最も最適な決定だ、とコメントした。

 ソヴィエツキー・スポルト出版の『フットボール』誌2015年8月11~17日号に、歴代のロシア代表監督の系譜がまとめられている。それによれば、スルツキー氏は、ソ連崩壊後の新生ロシア代表チームの、11人目の監督ということになる。ただし、O.ロマンツェフ氏が2期務めているので、第12代監督という見方もできる。代表監督の在任期間が最も長かったのはそのロマンツェフ氏で、1994~1996年、1998~2002年の2期、計5年5ヵ月24日を務め上げている。こなしたAマッチの試合数が最も多かったのも、ロマンツェフ氏の60試合。勝率が最も良かったのもロマンツェフ氏だが、同氏は40歳225日と、最も若くして代表監督に就任した(今回のスルツキー氏は44歳124日)。ただし、1期の連続在任期間が長かったのは、オランダ人のヒディンク監督で、3年11ヵ月21日に及んだ。逆に、最短記録は、A.ブィショヴェツ氏の4ヵ月26日であり、同氏は6試合で1勝もできなかった。

 前掲『フットボール』誌の中で、評論家のYu.ツィバネフ氏は(ツィバニョフかもしれない)、次のように論評している。スルツキーは、常に36.6度の平熱を示そうとする体温計のようなものだ。彼の下で、ロシア代表は実力どおりの力を発揮できるだろう。カペッロ監督の下で、ロシア代表が底の状態になってしまったことを考えると、これはとても大事なことだ。A.アルシャヴィンが、ロシアの指導者は対戦相手を恐れる臆病者ばかりだと指摘したことがあるが、スルツキーは戦術面で勇気がある。先日、U19欧州選手権でロシアが準優勝し、ドイツ相手にも堂々たる戦いを演じたことが印象的だった。こうしたこともあり、すべての年代のロシア代表チームに共通するメソッドを形成し、指導者もそれに従うようにすることが必要であり、ムトコ・スポーツ相もそれに必要な資金提供は惜しまないはずだ。ただ、今回のスルツキーの代表監督起用は、非常時の兼任というものである。今後については、2018年のワールドカップに向け、代表の中核となるクラブを形成するというシナリオが考えられる。ツィバネフは以上のように述べている。


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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州ニジニャヤトゥラ市(Нижняя Тура)。人口2.1万。地名は「トゥラ川の下流」を意味する(当地から南に30kmあまりのところに「トゥラ川の上流」を意味するヴェルフニャヤトゥラ市がある)。ニジニャヤトゥラは州の西端に位置し、州都エカテリンブルグからは220kmの距離。街は1754年に官営の製鉄所の開設に伴い誕生した。19世紀には、この工場で生産された碇は、世界で最も信頼性のあるものの一つとされていた。紋章は、その碇を中心に据えたデザインになっている。今日のニジニャヤトゥラは、機械産業と電力業の街である。「ヴェンタ」社、「チゾル」社は、主にロシア原子力公社「ロスアトム」向けに資機材を納入している。「ニジニャヤトゥラ国営地区発電所」は、291MWの発電能力を有する。


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 こちらのニュースによると、EUは7月13日、31日と、二次にわたって、EUが制裁を課しているベラルーシの政府高官および法人のブラックリストを、縮小する措置をとった。26人、4社が、リストから除外されたということである。なお、4社はYu.チジ氏が保有する企業である。今回リストから外されたのは主に、かつて政府高官を務め、その後退任した人物たちであるという。EUの駐ベラルーシ代表部は8月3日に声明を発表し、EUとしては引き続きベラルーシが人権や民主主義・法の優越の原則を遵守していないことを問題視しており、EUのベラルーシに対する政策に変更はないと説明した。これに対し、ベラルーシ外務省は、今回の措置を基本的に歓迎しつつ、まだ不充分であり、すべての制裁を撤廃すべきだとの立場を示した。

 今回の動きに関し、専門家のA.エゴロフは、現在EU・ベラルーシ関係は少しずつ改善されていて、EUとしては今回の措置を打ち出すことにより、ベラルーシの側からも譲歩があることを期待しているのだろう、特に政治犯の釈放が焦点になる、との見方を示した。一方、スロバキア人の政治評論家B.ヤラビクは、今回の制裁縮小は、旧高官を外す通常の見直しではあるが、EUは普通こうした見直しを10月に行うので、それを7月にやったということは、EU側からのシグナルである可能性はある、と論評した。


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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州スィセルチ市(Сысерть)。人口2.1万。州都のエカテリンブルグ市から南に50kmほどのところに位置し、鉄道および幹線道路で州都と結ばれている。1732年に製鉄所建設に伴い誕生した街。今日の主要企業は、ポンプやタービンなどを生産する「ウラルギドロマシ」と、ティーセットや教会向けの装飾を生産する「スィセルチ芸術磁器工場」。2002年に制定された市の紋章は、緑色の丘の上に黒い石を持ったシロサギが立つ図柄となっている。この街は、ウラル地方の民話を収集しそれを元に童話を生み出したパーヴェル・バジョーフの生誕地として知られ、市内にはその記念館がある。


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 めでたいのか、めでたくないのか、何だか良く分からないが、こちらおよびこちらのニュースによれば、今般キルギスがユーラシア経済連合に加入したことに伴い、対カザフスタン国境が開放されることになった。現地時間8月12日午前8時からアクジョル国境通過ポイントというところで、A.アタンバエフ・キルギス大統領、N.ナザルバエフ・カザフ大統領も出席して記念式典が行われるということである。今後、キルギスはユーラシア経済連合の共通関税率を適用し、キルギス・カザフ国境での通関手続きは廃止される。また、キルギスはロシア、カザフなどへの出稼ぎに依存している部分が大きいが、キルギスがユーラシア共通労働市場の一部になったことに伴い、今後労働移民にもユーラシアの共通ルールが適用され、試験や割当を免除され、社会保障の適用対象にもなる。


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 こちらのニュースによると、昨年来生じている大幅なルーブル安にもかかわらず、ロシアの自動車メーカーはそのチャンスを生かせていない。国内販売の落ち込みを輸出で埋め合わせる目論みは、上手く行かなかった。ロシア税関局のデータによれば、2015年1~6月にロシアの乗用車輸出は台数ベースで前年同期比27.0%縮小し、48,900台となった。金額ベースでは29.6%縮小し、5.3億ドルとなった。トラックの状況は幾分ましで、2015年1~6月の輸出は台数ベースで2.3%減の8,400台、金額ベースで2.7%減の2.1億ドルだった。これは、ロシアの自動車の伝統的な市場であるCIS諸国、特にカザフスタンでの販売落ち込みが原因だという。カザフの自動車業界のデータによれば、2015年1~6月に同国での自動車販売は31%落ち込み、特にロシア車と日本車がシェアを失っている。


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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州スレドネウラリスク市(Среднеуральск)。人口2.2万。地名は「ウラル中部の街」を意味し、実際に中央ウラル山脈の東麓に位置している。州都エカテリンブルグからは北西に16kmと至近。ソ連時代に火力発電所の建設に伴い誕生した比較的新しい集落。1936年に稼働を開始した「スレドネウラリスク国営地区発電所」(熱源は天然ガス、1,182MW)は、今日では「エネル第5卸売発電会社」の傘下に入っているが、これが現在に至るまで街の中核を成している。2003年に制定された市の紋章は、左が青、右が赤の地に、金色の松を描き、上部には炎の文様(たぶん火力発電を象徴)をあしらったものとなっている。


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 こちらのニュースによると、欧米による対ロシア経済制裁は、これまで石油産業を直接の対象としていたので、天然ガスのガスプロムの事業にはほとんど影響を及ぼしてこなかった。ところが、米国政府は今般、対ロシア制裁のブラックリストに、ガスプロムが開発権を有するサハリン大陸棚のユジノキリンスコエ・ガスコンデンセート鉱床を追加し(同鉱床はサハリン3に属す)、これによりガスプロムも初めて打撃を受けることになった。同鉱床では石油も産出することが、米政府の追加の根拠となっている。米国企業は同プロジェクトに設備を供給することが禁止され、これにより同鉱床開発の先行きに暗雲がたれ込めるが、問題はそれだけではない。もし仮にユジノキリンスコエの開発がストップすると、ガスプロムが計画しているサハリン2のLNGプラント拡張のための原料が確保できないという事態になりかねず、LNGプラントの拡張自体が頓挫する恐れがある。さらに、シェルがサハリン3への参入の意向を示していたが、ガスプロムとシェルの協力関係にもひびが入る可能性がある。


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 『フォーブス』という成金のための雑誌があることはご存知の方も多いであろう。あれ、米国が元祖だが、日本版とか、色んな各国版がある。旧ソ連圏でも、ロシア版、ウクライナ版、カザフスタン版があることが知られていた。実は、私自身は、ウクライナ版を電子版で定期購読していた。値段が安いというのもあってね。ただ、レイアウトは雑誌とはちょっと違って、iTunesで購入手続きを行い、iPadのNewsstandにダウンロードして(上がそのライブラリ画面)、インデックスを辿りながら展開していくような仕様になっている。ハッキリ言って、非常に不便な仕様であり、単純に1本のPDFファイルになっていたりした方が、はるかに楽なのだが。

 ところが、こちらのニュースによると、今般フォーブスの米国本社は、ウクライナの出版元であるUMHグループに対して、フォーブスのブランドを使用するライセンスを剥奪し、フォーブス本体のコンテンツを使用することも差し止めたということである。今、ウクライナ版フォーブスのウェブサイトにアクセスしてみたら、開かなかった。小額とはいえ、私の購読料は、どうなってしまうのだろうか?

 問題は、ウクライナの出版社UMHが、S.クルチェンコの会社であることだ。クルチェンコは、V.ヤヌコーヴィチ前大統領の息子O.ヤヌコーヴィチの仲間であり、米国政府による制裁対象に入っている。こうしたことから、米フォーブス側は2014年からUMHに対するライセンス剥奪手続きを開始し、それが今般発効したということのようである。一方、UMH側は、2018年までのライセンス料を支払済みであるとして、反発している。


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 ロシア連邦スヴェルドロフスク州クラスノウラリスク市(Красноуральск)。人口2.4万。19世紀に砂金の採取、黄銅鉱の採掘などが試みられたのち、1925年に銅鉱山の開発と銅溶解工場の建設が始まり、これが街の誕生年とされている。1931年に現在のクラスノウラリスクという名前になった。今日でも、銅精錬の「スヴャトゴル」社(大手グループ「ウラル鉱山冶金会社」の傘下)が、市の経済の中心となっている。2006年に制定された市の紋章は、赤地の盾に、金属を溶かするつぼ、左右2匹のライオンなどを金色で描いた、鉱山・冶金産業を象徴する図柄となっている。


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 8月3日から8日にかけて千葉県の幕張で、国際中欧・東欧研究協議会(The International Council for Central and East European Studies、略称ICCEES[イクシーズ])の第9回世界大会(ICCEES IX World Congress 2015)が開催され、昨日無事閉幕した。

 私の出番は2回あり、まず8月6日(木)14:30-16:00のBelarus: Socioeconomic and Political Dynamic, External Relations, and Identity Formationというパネルで、'The Political Economy of Belarus under Lukashenko’s Rule ―A Case Study of Fertilizer Industry―'と題する報告を行った。同時並行的に多数のパネルが開催されるので、ベラルーシのセッションなんか聴きに来る人がどれだけいるのだろうかと疑問に思っていたが、意外や意外、非常に盛況だった。私はこういう機会にはいつも、なるべく多目の部数の資料を印刷して持っていくようにしているのだが(足りなくなるのが嫌なので)、今回20部ほど印刷して持参していたところ、30人くらい出席者がいて、驚いた。まあ、ベラルーシのセッションが希少だということと、私はともかく、Stephen White、Grigory Ioffeという世界的に著名なベラルーシ専門家が発表を行い、また討論者もMargarita Balmaceda、Oleg Manaevというエキスパートたちであり、それで集客力を発揮したのではないか。私の報告は、ルカシェンコ政権のベラルーシの政治経済体制を、肥料産業という具体例から検討するというものであり、内容的にはそれなりに新味があったと思うが、英語のペーパー執筆とプレゼン実施に難儀し、そうした語学面での限界からあまり良い出来ではなかったと、反省している。

 私はもう一つ、8月8日(土)9:30-11:00のUkrainian Politics I というパネルで、討論者を務めた。このセッションでは、東京大学の溝口修平さんの'The Dynamics of Undemocratic Regime Change: The Case of the Orange Revolution'という発表と、ドネツィク国立大学のK.チェルカシン氏による「ドネツク人民共和国の内政:国家建設の試み」という発表に対するコメントを行った。もう一人、ウクライナ科学アカデミーのO.スヴェトロフという人が'Ukrainians` Protest Decade'という報告を行うと聞いていたのだが、結局その人は会場に現れなかった。

 溝口さんの発表は政治学に立脚したスタンダードな内容だったので、普通の学会の討論という感じになった。それに対し変わり種だったのは、チェルカシン氏の方であり(上の写真の左から2番目の人物)、同氏はウクライナからの分離独立をめざしている自称「ドネツク人民共和国」を代表して発表を行ったような恰好であり、その内容は論文というよりも自称共和国が現在どのような路線で国家建設に取り組んでおり、またどのような課題に直面しているかを叙述したものだった。同氏が、ロシア語でペーパーを提出し、発表もロシア語で行ったので(英語は不得意そうだった)、私もロシア語で討論した。当方からは、「私はウクライナ国家の一体性の支持者であり、そもそもナントカ人民共和国など無用の長物と思っている。ただ、これは学会であって、政治闘争の場ではないので、私の立場はともかく、質問をさせていただく」と断った上で、2つほど質問をした。

 チェルカシン氏が、「実は私も、最初は人民共和国の創設に反対だった」と語り始めたので、おや?同氏も元はウクライナ一体派だったのか?などと一瞬思ったが、話を聞くと、同氏は最初ドンバスについてもクリミア・シナリオ、すなわちロシアによる編入を期待しており、ロシアが間接的な軍事介入という中途半端な対応をとったので、人民共和国の独立という路線に傾いたと述べていた。発表後のフロアを交えた質疑応答では、同氏に質問が集中し、大モテだったというべきか、集中砲火を浴びたというべきか、とにかく図らずもパネルの主人公となった感じだった。実は同氏は人民共和国の動向の現状分析を必ずしも専門的にやっているわけではなく、成り行きで今回のような発表をすることになったらしく、質問の多くに的確に答えられないでいたが、それでも屈託のない様子だった。一方、その場に居合わせたキエフ側のウクライナ人の方は、非常にピリピリした雰囲気を醸していた。現に、私がウクライナの一体性を支持すると述べたことに対して、セッション終了後にお礼を述べに来たウクライナ人もいた。また、在日ウクライナ大使館の人が来ていて、ドネツク人民共和国のチェルカシン氏に、「お前は一体、どんなパスポートで、今回来日したのだ?!」と噛み付いていた。セッション終了後に、同大使館員と少し話したところ、先方は私の所属するロシアNIS貿易会のことはもちろん知っているが、貴会はロシア寄りなので、最近は貴会との関係は控えている、というようなことを言われ、驚いた。そりゃ、うちの会の立ち位置からして、圧倒的に経済的重要性の高いロシア関連の事業の比重は大きいが、別にロシアとウクライナを天秤にかけてロシア寄りの立場をとっているということはなく、事業対象国には等距離をとっているつもりなのだが。

 今回の世界大会の組織委員長を務められた下斗米伸夫先生、沼野充義先生、事務局長を務められた松里公孝先生をはじめ、大会の開催に尽力された皆様、お疲れ様でした。


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Coat_of_Arms_of_Nevyansk_(Sverdlovsk_oblast)

 ロシア連邦スヴェルドロフスク州ネヴィヤンスク市(Невьянск)。人口2.4万。州の2大都市であるエカテリンブルグとニジニタギルを結ぶ鉄道および幹線道路沿いに位置し、両都市のほぼ中間にある。街は、ピョートル大帝の命により製鉄所が建設されたことに伴い、1701年に誕生した。かつてデミドフ家が経営に当たった製鉄所は、ソ連時代に「ネヴィヤンスク機械工場」と名前を変えたが、現在もフォークリフト、コンプレッサーステーションなどを生産し、街の経済を支えている。2001年に制定された市の紋章は、斜塔、燃える3つの砲弾、「探鉱者の枝」をデザインしたもので、製鉄で栄えた街を象徴している。

 しかし、何で斜塔なのかと思ったら、実際に街には下の写真に見るような傾いた塔があるらしい。ウラルで最も有名な建築遺産とも言われているそうで。いやはや、知りませんでしたわ。

_Невьянск

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 本日は、幕張のICCEESの最終日で、ウクライナのセッションでコメンテーターをやらなくちゃいけないので、簡単なネタだけでご容赦いただく。一昨日だったが、エジプトでスエズ運河の拡張工事が完了し、その記念式典に多くの外国VIPも訪れたというニュースをやっていたが、その中にロシアのD.メドヴェージェフ首相の姿もあった。その様子が、上の動画である。

 スエズ運河の拡張は、ロシアにとっても、朗報だろう。アジア・太平洋市場にシフトしようとしているロシアではあるが、経済の重心は引き続きヨーロッパ・ロシア部にあり、その中でも国の南部は開発重点地域とも位置付けられる。しかも、黒海を、ほぼ自らの内海としつつあるロシアである。黒海港湾から貨物を出荷し、スエズ運河を通って、アジア・太平洋市場により速くアクセスできるとなれば、多少なりともロシアの競争力向上に繋がるだろう。


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Kamyshlov_city_coa

 ロシア連邦スヴェルドロフスク州カムィシロフ市(Камышлов)。人口2.7万。1668年に当地に城塞都市が築かれたのが街の始まりで、この地域としてはかなり歴史のある街だ。この地を貫いてモスクワからシベリアへ続く「シベリア街道」が拓かれたことで、街は発展を遂げた。2003年に制定された街の紋章は、緑色の背景の上に、穀物の束と殻竿が交差する図柄であり、この地が農業を生業としていることを物語っている。


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 編集作業が終わったばかりの『ロシアNIS調査月報』2015年9-10月合併号の中身を、例によって編集長特権で、どこよりも早くご紹介。今回は、毎年恒例のロシア貿易データ特集ですが、「特集◆制裁下のロシアの貿易パフォーマンス」と銘打ち、ロシアと欧米による制裁の応酬の影響、特にロシアによる欧米産食品輸入禁止の問題などに重点を置いた内容となっています。私自身は、冒頭のレポート「2014年のロシアの貿易統計」を執筆しているほか、「一山越したウクライナのデフォルト危機」、「出しゃばりすぎるサッカークラブのオーナー」といった小ネタも披露。お盆休みにもかかわらず、8月20日の定時発行予定、偉い!


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 こちらのニュースによると、8月25~30日にモスクワ郊外のジュコフスキーで、第12回モスクワ航空宇宙サロン(MAKS2015)が開催される。前回の2013年には97機の航空機が展示されたのに対し、今回は110機以上となる。とくに、ロシアの短・中距離ジェット旅客機イルクートMS21が初めて出展される見通し。国ぐるみで展示を行うのは、フランス、米国、ベラルーシ、スウェーデン、ベルギー、イラン、チェコであり、最大は24社が共同出展するフランス、米は6社となる。Airbus、Boeing、Pratt&Whitney、Safran、Rolls-Royceといった欧米の大手は、展示規模を維持した。ウクライナ企業やイスラエル企業は姿を消したが、そのスペースには中国、トルコ、南アフリカなどが進出しており、特に中国の出展規模は前回の2倍になった。

 ただし、ロシア国営公社「ロステフ」の幹部によれば、欧米の対ロ制裁を受け、西側の軍需企業による出展は縮小した。ロステフとしては、アジアへのシフトを当然と見なしており、というのもロシアの軍需協力の相手国は中国、ベトナム、インド、マレーシア、インドネシアなど、この地域に多いからである。


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Coat_of_Arms_of_Severouralsk_(Sverdlovsk_oblast)

 ロシア連邦スヴェルドロフスク州セヴェロウラリスク市(Североуральск)。人口2.7万。地名は「ウラルの北の街」を意味する。州都エカテリンブルグからは約500kmとかなりの距離がある。1931年に地質学者のニコライ・カルジャヴィンがこの地でボーキサイト鉱床を発見したことを受け街が成長し、1944年に現在のセヴェロウラリスク市に改称された。今日でも街の中核を成しているのはボーキサイト採掘の「セヴウラルボクシトルダ」社であり(大手企業グループ「ルサール」傘下)、その生産量はロシア最大のシェアを誇る。市の近郊では鉄鉱石や石灰石も産出する。1991年に、街の近郊に自然保護区「ジェネシキンカメニ」が設けられた。2003年に制定された市の紋章は、緑色の山の上に金色の鍵などを描いた図柄になっており、鉱物資源の発見を象徴したものである。


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